ステイホームで海外旅行(1)
2020.05.02
Windowsを起動するときいつも表示されるこういう画面、
今までは煩わしくて仕方なかったのだが・・・

コロナウィルス感染拡大緊急事態宣言により
外出できないゴールデンウィークとなりました。
これで海外旅行気分を楽しみましょう。
まずはイタリアから


ステルヴィオ渓谷


ガルーダ湖

画像はすべてwikimediaより

富山地方鉄道市内軌道線南北直通開始
2020.03.29

 2020年3月21日より、富山地方鉄道市内軌道線南北直通運転が開始された。これに伴い、富山ライトレールと富山地方鉄道が合併したため、富山~岩瀬浜間は何十年の時を経て、富山地鉄に帰ってきた。富山駅~岩瀬浜は富山港線の名称も復活した。



左:富山駅市内軌道線ホーム(南側) 右:富山駅市内軌道線ホーム(北側)



 南北直通で運転系統が大きく変わったのは岩瀬浜発の電車はすべて富山市中心部(南富山駅前、グランドプラザ前、富山大学前)に乗り入れること。富山ライトレール時代の富山駅北どまりがなくなった。



左:環状線を走るTLR0600形(ポートラム) 右:岩瀬浜駅まで乗り入れるT100形
 

 また合併の際、(旧)富山ライトレールのTLR0600形電車はすべて地鉄が引き継いだ(7色の塗色とPORTRAMのロゴはそのまま)のと、地鉄のデ9000形、T100形は富山港線にも入るので、富山駅でポートラムの電車が来たから岩瀬浜行きだと思って乗ったら、富山大学前に連れて行かれた、という乗り間違いに注意を要する。そのせいかどうか、直通開始から1週間経った今も富山駅の市内軌道線のりばには案内係が数名配置されている。
尚、旧来からあるデ7000形とデ8000形は富山港線には乗り入れない。



左:デ7000形 右:デ8000形


 春休み中最後の日曜日、この5系統(岩瀬浜~富山大学前)を始発から終点まで乗り通してみた。岩瀬浜発11:46、富山港線内は単線のため、途中、荻浦小学校前(旧大広田)、城川原、淡島、奥田中学校前に交換設備がある。乗り入れ電車の本数が増えたためか、以前は平日日中、休日は城川原と奥中前でしか交換がなかったのが、今回、荻浦小前でも交換があった。乗った電車はT100形(通称サントラム)だった。この電車は今まで南富山~富山駅~大学前でしか乗ったことも見たこともなかった。この区間は全線併用軌道なのでスビードは出しても30km/hくらい、のんびりのんびり走るチンチン電車という感じだったのが富山港線(ほとんどが鉄道線)ではガチで走る。いやはや、こんなスピードが出る車両だったのか!



↑画像をクリックすると動画で見られます


 富山大学前(旧大学前)着11:23、岩瀬浜からの所要時間は約40分。子供やお年寄りは全区間乗るなら、乗車前にトイレは済ませておいた方がいいかもしれない。
 ちょっと研究室に寄って、今度は富山大学前から丸の内まで乗車、ここで環状線廻りの岩瀬浜行きに乗車、岩瀬浜まで、乗った電車はTLR0600形、残念ながら赤ではなかった。富山ライトレールが開業した当時、沿線の高校の女子生徒の間で「赤ポートラムに乗れた日に告白すると両想いになれる」というのがあった。学校によりいろいろなバリエーションがあったようだ。今日は6系統の運用に赤ポートラムが入っているのは、来るときに確認しているが、まぁ、今さら両想いになりたい相手などいないので、来た電車に乗った。

 ところで、この6系統は岩瀬浜~富山駅~環状線~富山駅~岩瀬浜という運転である。環状線は丸の内からはグランドプラザ前~荒町~富山駅という一方向しか走らない。するとこの電車は再び富山港線に入るとき編成が逆になる?(鉄道に詳しくない方のために解説すると、鉄道は車両の編成が本来と逆の列車を走らせると信号など安全運転の設備が正しく作動しなくなるか破損してしまう)。まさか鉄道線の中をATS切って走るの?おっかねぇ~。もしかして電鉄富山駅エスタ前出てすぐのところに今でも残っている旧線(上図赤で示した区間)を使って方向変換するの?結果、富山駅から先、逆向きのまま岩瀬浜まで走りました。終点に着いて、運転士さんにきいてみたところ、「逆向きでも問題なく走れるように出来ている」とのことでした。よく考えるとTLR0600、デ9000は見た目が2両編成(T100だと3両編成)に見えますが、あれは1両の電車が真ん中でグニャグニャ動く構造なだけで、正確には単行なんですね。そりゃ、信号機から見れば1両の電車が行ったり来たりするだけなわけだ。と納得したところで帰路につきました(車は岩瀬浜駅のパークアンドライド駐車場に停めていました)。



 
モンゴル極東の鉄道に乗ってみた
2018.10.14
(※)以下の記事中の写真はすべてクリックで拡大写真となります。

モンゴルの鉄道の幹線は中国~モンゴル~ロシアを結ぶ南北縦貫線だが、この他に東部のチョイバルサンから、極東でのロシアとの国境エレンツァブまでを結ぶ東部貨物線がある。この路線はシベリア鉄道に接続する貨物鉄道として建設されたもので現在のところ首都ウランバートルとは繋がっていない。
この鉄道に週2往復のみ旅客列車があるというので、今年のモンゴル行でエレンツァブにも赴く予定があったので乗ってみた。



チョイバルサン駅で発車を待つエレンツァブ行き列車

現在の旅客列車時刻は次のとおりである。

チョイバルサン→エレンツァブ(月・木運転)
チョイバルサン発(月・木)22:00→エレンツァブ着(火・金)6:00


エレンツァブ→チョイバルサン(火・金運転)
エレンツァブ発15:00→チョイバルサン着(同日)22:00


要はチョイバルサンから出た列車が折り返すというパターンが週2本ということである。
そして列車は貨物列車に客車が1両だけ連結されたいわゆる混合列車



チョイバルサン駅で列車に乗り込む乗客

チョイバルサン~エレンツァブを結ぶ交通機関はこれしかないため、指定券が買えなかった乗客が必死で車掌と交渉していた(並行する道路はこの日、前日までの大雨の影響で寸断されていた)。これに乗れなければ次の列車は3日後である。

この鉄道は元々、この地域で産出されるウランをロシア国内に運ぶために旧ソ連が敷設したものである。現在でもその痕跡は残っている。ひとつは客車、塗色は変更されてるが、一見してシベリア横断鉄道ロシア号の2009年以前のハードクラス(3等車)だとわかる。



途中駅に停車中の列車


客車内

客車内はこのような感じ、日本の昔の10系か20系のB寝台とよく似ているが、(日本のかっての寝台車でいう)通路側にも3段式寝台がある。こちらは583系のモハネのような感じ。広軌サイズ(ゲージはロシアに合わせた1520mm)の車両なので窮屈感はまったくない。ただしボックス側通路側ともに中上段に転落防止用のベルトがないのと上がる梯子がない。そのため指定券も下段に1列3人掛けという前提で発売され、普通はみなそこに着席する。どうしても横になりたい乗客は中段によじ登って寝る。上段はほとんどのボックスで荷物置き場に使われていた。

チョイバルサン~エレンツァブは約200km(東京~浜松くらい)、所要時間は7~8時間とちょっと長すぎる気もするが、走り出してみてわかった。列車の速度はレールの継ぎ目の音から推定して最速でも50km/h程度、ほとんどの区間は30km/hくらいだろうか。砂漠の上に敷いた線路なのでこれ以上は出せないのだろう。また朝や日中の走行では、放牧の家畜が線路に入り込んで急停車することもしばしばある。

真夜中の途中駅でも荷物の積み下ろしがある

途中駅は1時間に1つくらいあった。停車時間は2、3分の所もあるが、中には5分以上の所もあり、ちょっと列車の外へ出て一服(^ ^;
途中駅で乗り降りする乗客もそれなりにあるのと、真夜中でも荷物の積み下ろしもある。この鉄道がいかに地域に必要なものであるかがよくわかる。
また、ちょっと驚いたのは中間駅の駅舎がけっこうしっかりしていること。ソ連時代には人・貨物どちらの輸送にとってもこの鉄道が担った役割が大きかったことがうかがえる。



途中駅の駅舎

そして終着駅エレンツァブに着いたとき、なぜか客車の後ろに繋がっていた貨車が増えていた(笑)。この理由はチョイバルサンに戻る列車で判明した。

エレンツァブに到着した列車

旅客営業はここまでだが線路はこの先、ロシアへと通じている

この日、朝~午後までにエレンツァブでの用事を済ませ、エレンツァブ発15:00のチョイバルサン行に乗車。駅に着いて発車まで少々時間があったので、ちょっと撮り鉄した。


牽引するのはディーゼル機関車重連


停車中の列車を後ろから


あれ?来るとき後ろにあんなにたくさん繋がっていた貨車はどこへ行った?これは想像だが、エレンツァブで日中用事を済ませている間にロシアから来た貨物列車(あるいは回送されてきた機関車)に連結されて国境を越えて行ったのか。今、この列車に連結されている貨車は日中にロシアから来たのかな?
何にしても荷物車+客車+貨車1両ずつと、身軽になったチョイバルサン行は定刻どおりエレンツァブを発車した。


貨車の入れ換えならそこにあるスイッチャー使えよ

そしてある途中駅でのこと。停車時間が割合長い駅だったので、タバコ1本吸って車内に戻ったところ、列車が突然バックし始めた。タバコ吸って戻る時に列車を乗り間違えたかと思った。しばらくバックしたと思ったらガシャーンという音とともに停車、今度は前進、しばらくしてまた停車、またバック、ガシャーン、何事だと思って窓の開くところから外を見てやっとわかった。要は貨車の入れ換えと連結を乗客乗せたままやっていた。俺たちゃ貨物扱いかよ!(笑)
この駅では貨物の大口取り扱いがあるのだろうか。来るときの列車もここで貨車を増結していたのではないかな?

チョイバルサンに到着

そして列車は約1時間遅れの23時過ぎにチョイバルサンに着いた。9月中旬のこの時間はかなり寒い。私は鉄オタであり、このような夜行列車日帰りは慣れているが、同行してくれた通訳さんはかなり疲れてしまい、翌日体調を崩してしまった(ごめんなさい)。

この記事を読んで、この列車に乗ってみようと思われた方へいくつかご注意を

(1)この鉄道についてはネット上でも正確な情報はなく、モンゴル人でもその存在を知らない方もいるくらいです。時刻や指定券購入などは、チョイバルサンを出る前によく知っている方に確認するのが無難です。ちなみに空席があれば指定券は車内でも買えます。

(2)途中駅からの乗客は空いている席に適当に座ります。相席が苦手な方はご注意ください。

(3)チョイバルサン、エレンツァブ共に駅は町からだいぶ離れたところにあります。駅舎にカフェがあるわけでもなく駅近辺にはコンビニ1軒ありません。夜行日帰りなら駅へ向かう前に食料、飲み物は用意しておきましょう。

(4)両駅ともタクシーはありません。列車到着に合わせていわゆる「白タク」は集まってきますが、事情がよくわかっていない方は一人では利用しない方が無難です。

(5)基本的には行った列車が返ってくるだけなので、宿泊しない限り撮り鉄(とくに走行シーンを撮る)のは困難です。エレンツァブには(日本でいう)民泊が1軒あるだけです。

この記事を読んでここに行ってみようという方は自己責任でお願いします。本記事の内容と実際の列車時刻が違っていたなどにより起こった事態について当サイト管理人は一切の責任を負いません。
第3セクター鉄道~こういうのもありでは?
2018.08.17

↑画像をクリックすると動画で見られます


 動画公開サイトで拾ってきたものです。かって日本軍が敷設した鉄道跡を沿線住民が維持・管理して運行しているもののようです。JR・私鉄が廃線とし第3セクターに引き継がれた、または親会社から経営分離されたものの経営が立ち行かずやはり廃線となる例がありますが(神岡達道・くりはら田園鉄道、鹿島鉄道など)、こういうやり方もあったのではないだろうか、と思います。実際には鉄道法があるため無理でしょうけれど、そこは鉄道法による規制を緩和する方向で。そうしないと地域公共交通活性化再生法は意味をなさなくなるような気がします。

日帰り旅行(高岡)
2017.10.28
前から一度行ってみたいと思っていた高岡大仏に行ってみました。雨は降らなかったものの少し肌寒い天気でしたが、今日のように何もない日というのはそう滅多にないので「曇天決行」です。


高岡大仏

JR・あいの風富山鉄道の高岡駅から徒歩10分ほどのところにあるこの大仏は奈良の大仏、鎌倉の大仏に次ぐ日本三大大仏のひとつ・・・(と地元では言われています。正確には3位の座はどこの大仏になるのかは現在のところ定説はありません)。歌人の与謝野晶子が「鎌倉の大仏より男前」と評したことから「イケメン大仏」の地位はゆるぎないと思われます(笑)。


赤レンガの銀行(富山銀行本店)

せっかく高岡まで来たので、鋳物資料館も寄ってみようかと、大仏からだと1kmほど歩くのですが自主リハビリを兼ねてしゅっぱ~つ。途中にこんなのがありました。富山県内唯一の本格的西洋建築で、史跡ではなく、現在も銀行として営業しているものです(富山銀行本店)


高岡市鋳物資料館

途中道草したため、大仏から歩くこと30分(平均時速2km/h・・・汗)千本格子の家並みに入ったところにありました。この鋳物資料館の隣は「町の駅」になっていて高岡銅器の販売も行っています。


人間国宝金森映井智の作品

人間国宝だった金森映井智氏(故人)の作品も展示されています。


金森映井智が使用していた道具

私が圧巻されたのはこれです。金森映井智はこの道具から自作していたそうです。

高岡銅器が全国的に有名になったのは、その着色の技術なのだそうです。焼き色、煮色、青銅色など独特な製法の過程で生まれてくる色です。


万葉線のドラえもんラッピング電車

鋳物資料館の見学を終えて高岡駅に戻る途中、万葉線(高岡~越ノ潟を走る路面電車)のどらえもん電車がやって来ました。ドラえもんの原作者藤子・F・不二雄氏はここ高岡の出身です。ちなみにJR城端線・氷見線では、藤子不二雄としてコンビを組んでいた藤子 不二雄Ⓐ氏(氷見市出身)の代表作「忍者ハットリくん」のラッピング車両を走らせています。

半日ほどの短い旅でしたが、このような小旅行は私の趣味のひとつです。

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