スーホーの白い馬とジョノン・ハル
2018.08.21
絵本にもなり、小学校の教科書にも採択され多くの人々が知るところとなったモンゴルの民話「スーホーの白い馬」、この話を日本に紹介し広めた児童文学者が他界した。現在モンゴル民俗音楽の研究を手掛けている者の一人として、大塚勇三さんのご冥福を心より祈るものである。
https://mainichi.jp/articles/20180821/k00/00m/060/150000c
このスーホーの白い馬は内モンゴル自治区錫林郭勒盟(シリンゴル盟)近辺の地域で語り継がれてきたもので、大塚勇三さんが中国語になった本から翻訳して日本に紹介してものである。あらすじは、
遊牧民の遊牧民の少年スーホーが助けた白い馬を大切に育てる。数年後に領主が自分の娘の結婚相手を決めるために競馬大会を開く。白い馬に乗ったスーホーは見事に優勝するのだが貧しい遊牧民に自分の娘をやりたくない領主は銀貨を3枚渡し、白い馬も置いてゆけ、とスーホーに命じる。これを拒否したスーホーは領主の家来により殴る蹴るの仕打ちを受け白い馬も取られてしまい命からがら家に帰る。一方白い馬は領主の宴会の最中に隙をついて逃げ出す。しかし追ってきた領主の家来の放つ矢が体に刺さり瀕死の状態でスーホーの家にたどり着く。スーホーは必死で白い馬の手当をするがそのかいもなく白い馬は死んでしまう。スーホーは何日も眠れずにいたが、ある夜やっと眠りについたとき夢に白い馬が出てきて、自分の体を使って楽器を作るようスーホーに告げる。これが馬頭琴(モリンホール=馬の楽器の意)である。
というものである。ただこの話、モンゴル人の中ではどうやらマイナーな存在のようで馬頭琴誕生譚としてはフフー・ナムジル(ジョノン・ハル)の方がモンゴル人には馴染みがあるらしい。こちらは
東に住む青年ナムジルが兵士となり西の果てへ赴く。そこでその地のお姫様グンジドと恋におちる。しかしナムジルが故郷に帰ることになり別れがおとずれる。グンジドはナムジルに1頭の黒い馬を与える。ジョノン・ハルというその馬は不思議な馬で翼を持ち、2人が会いたい、と思うといつでもどんなときでも東の果てにいるナムジルを乗せて西の果てのグンジドの所までひと晩で飛んでくる駿馬だった。ところがナムジルのことを好きになった別の娘がジョノン・ハルの秘密を知り、その翼を切り落としてしまう。ジョノン・ハルは息絶え、ナムジルは何日も悲しみの中で過ごす。そしてジョノン・ハルの体を使い、頭を棹の先に付け、皮を胴に貼り、尾の毛を弦にした楽器を作る。これが馬頭琴である。
というものである。


どちらの話もいつ頃から民間伝承としてあったのか興味深い。スーホーの白い馬が語り継がれた内モンゴル自治区シリンゴル盟は今回の訪問地のひとつザミンウッドから比較的近い(といっても200kmほどある上に陸続きとはいえモンゴルから中国に入るのだから簡単にはいかれないが)。またフフー・ナムジルに出てくるお姫様グンジドがいたと思われるのは同じく今回の訪問地であるウルギー近辺ではないかと思われる。ナムジルがチンギス・カン時代の兵士とすればおそらくモンゴル帝国時代の都(地図の青くマークした地域)に住んでいたのだろうか。民俗音楽(民族音楽ではない)を深く調べるにはこのような民間伝承や地理・歴史的背景も重要なポイントになる。



ザミンウッド・シリンゴル盟付近



モンゴル帝国の都から西の果てまで

モンゴリアンブルー(*)
2018.08.20


 学生の頃、買った本で、当時放送されていたラジオ大学講座のテキストである。当時、国民楽派の音楽にのめり込んでいた私は、講座は毎回聴いていた。小泉文夫氏といえば東京芸術大学音楽学部で音楽学、とくに民族音楽の研究者として第一人者だった方であり、故人となった今でも、その研究内容・方法は現在民族音楽の研究を行なっている者にも深い影響を与え続けている。久々に取り出して読み返してみた。この本のまえがきに「おお、そうだよなぁ」と思うことが書いてあった。
(以下、敬称略)
 小泉によれば、民族音楽とはある民族の集団的表現や伝統に培われたものであれば職業的音楽家による作品や演奏もこれに含まれ、民俗音楽とは民衆の生活・行事に密着したもので職業音楽家によるものは除かれるのがふつうである。そしてある民族の音楽について調べようとするとき、①民俗音楽②宗教音楽③芸術音楽を柱にすると便利である(「調べやすい」の意だろうか)。ここで民俗音楽には民謡、わらべ歌などの他に半職業音楽家(大道芸人・遊び芸人)の作った音楽も含める。宗教音楽とは宗教的儀式などのために用いられる音楽で、職業音楽家が芸術として作ったもの(J.S.バッハの「マタイ受難曲」はこれに相当するだろうか)は含めない。芸術音楽とは職業音楽家の創作・演奏によるもので、大衆音楽、流行歌、学校教育で使われる音楽も含める。
 民族音楽・民俗音楽・芸術音楽研究についての小泉の考え方を図で表すと次のようになる。




 ある民族の芸術音楽と民俗音楽とで、音楽の理論的な組み立ても使用する楽器も全く異なっているときは、その民族の芸術音楽は他民族の音楽を借用したものと考えられる、というのが小泉の考え方である。
 このまえがきは学生だった当時、私は全く気に留めなかったが、今年私がモンゴルへの渡航研究でやろうとしているモンゴルと隣接国との国境地域の音楽収集は、あらためて考えてみるとこの考え方にかなり影響されている。
 ただ、今出発を前にしてマリッジブルー(結婚式をひかえた女性によくみられる精神的不安定状態)ならぬモンゴリアン・ブルー(*)になってきている。日本の民謡・わらべ歌によくみられるヨナ抜き音階・ニロ抜き音階はモンゴル民謡・中国・朝鮮半島の民謡にも見られる特徴であり、三味線は琉球から渡ってきたものである。胡弓は構造は三味線に似ており奏法は中国の二胡、モンゴルの馬頭琴に近い(楽器学的には馬頭琴とは異なる楽器であり二胡に近い楽器である)。この研究を進めていった場合、日本の芸術音楽は元々が大陸から朝鮮半島・琉球王国を経て流入してきたもので、本来日本には音楽文化はなかった、という結論に達してしまう可能性があるのである。

(*)モンゴリアン・ブルーとは本来、モンゴルの乾燥した気候の中で見られる、抜けるような青い空のことである。
第3セクター鉄道~こういうのもありでは?
2018.08.17

↑画像をクリックすると動画で見られます


 動画公開サイトで拾ってきたものです。かって日本軍が敷設した鉄道跡を沿線住民が維持・管理して運行しているもののようです。JR・私鉄が廃線とし第3セクターに引き継がれた、または親会社から経営分離されたものの経営が立ち行かずやはり廃線となる例がありますが(神岡達道・くりはら田園鉄道、鹿島鉄道など)、こういうやり方もあったのではないだろうか、と思います。実際には鉄道法があるため無理でしょうけれど、そこは鉄道法による規制を緩和する方向で。そうしないと地域公共交通活性化再生法は意味をなさなくなるような気がします。

議員からタレントへ~上西小百合さん
2018.08.16




 この方上西小百合さん(以下、敬称略)、今年の5月からタレントに転身していたらしい。この逆、タレントから議員に転身は今日では掃いて捨てるほど例があるが、一度国会議員という職・身分を得たものがタレントに転身とはちょっと驚いた。議員時代の言動にはいろいろ問題があったようだが、それでも私は今後、タレントとしての上西小百合を応援してゆきたい。
 私の世界でいえば、過去に演奏家として活動し、今は国立大学で音楽を教えているという者はたくさんいるが、その逆、国立大の教員という安定した職・身分を捨て、収入も社会的保証も安定しない演奏家の世界に入った者の話はあまり聞かない。一度安定した居場所を得た者は自分がそこまで到達した経路を忘れてしまうということもあるだろうし、本当は自分はこうありたかった、ということを今の大学の体質では言えないのである。
 私の勤務先は小学校の教員を養成するコースだが、すべての学生が高校生のうちに小学校教員になりたいと決意を固めていたわけではない。また在学中に将来の夢が変わることだってある。しかし、そのような学生たちは現状では指導教員や大学・学部からの指導に対して「ノー」とは言えない空気が出来上がってしまっている。今の大学が保護者・社会に対して「いい顔」することばかり考えているからこういうことになる。そもそも日本という国がこれまでの歴史・経緯は忘れて諸外国に対し「いい顔する」ことばかり考えているわけだが。
 タレント上西小百合の存在は、このように自分の夢に向かって進もうとする者たちに「やれば誰だってできるのだ」ということを見せた。民間人・タレントとして積んだ経験を活かしてまた議員に立候補して欲しいなどとは言わない。上西小百合自身にも自分のやりたいことをやって欲しい。芸能人がいいと思うならその世界でずっとやっていってもいいではないか。


石井アナ「史上最低の放送」上西小百合の演技力を華丸も酷評
https://ja.wikipedia.org/wiki/上西小百合(wikipedia)
モンゴルとハンガリー
2018.08.11
 いつも鉄道動画を探して観る動画公開サイト(Youtubeなど)で最近こういう数秒程度の短いものをよく見かける。若い女性が自撮りしたものがほとんどである。その中でちょっと私の興味を引くものがあった。これを見ていて膨らむ思いをつらつらと。


↑画像をクリックすると動画で見られます。
かなりセクシーなダンスなので苦手な方は閲覧ご注意ください


 BGMに使用されているこの曲は、このような短い動画で中国か韓国からの投稿と思われるもので最近よく聴く。音楽に詳しい方なら聴いてわかるとおり、この旋律は西洋音階でいう短音階の第2・6音が省かれたいわゆるニロ抜き音階である。さらに最初の4小節(あるいは2小節)の旋律を完全5度下で反復しているが、これはハンガリー民謡にしばしば見られる特徴である。


ハンガリー、ドゥナントゥール地方の踊りの音楽のひとつ(*1)

 ニロ抜き音階は、モンゴルの民謡、わらべ歌、近年のポップスにもよく顕れている。そして日本の民謡、わらべ歌、演歌でもよく使われる音階である。
 旋律以外の面では楽器においてモンゴルとハンガリーには大変よく似た楽器が存在する。モンゴルの伝統的な楽器、洋琴(=ヨーチン)とハンガリーのツィムバロンである。



モンゴルの洋琴(左)とハンガリーのツィムバロン(右)

 
 これは中国と朝鮮半島(現在の北朝鮮になる地域)にも同じ楽器(中国ではヨーキンと読む)が存在する。この楽器はハンガリー(ヨーロッパ)からモンゴルに伝承したとする説が今のところ有力であるが、もしかしたら逆かもしれない。確かなことは現時点では知りようがない。というのはチンギス・カンが築いたモンゴル帝国は、その最盛期には現在のモンゴル国土の他、中国のほぼ全域、朝鮮半島全域、ロシアの南4分の1ほど、さらにカザフスタンから東ヨーロッパの一部までを領土としていたのと、チンギス・カンの施策として道路網整備とジャムチ(宿場制)の充実があったためである。ジャムチは帝国の都と領土各地間での軍の移動をスムーズに行うためのものであったが、これを通って周辺地域との間で物流が活発化し、様々な技術、学問がモンゴルに入ってきた。そう考えると洋琴は13~14世紀頃に朝鮮半島・中国~モンゴル~東ヨーロッパへと伝わっていった可能性も出てくる。この辺を明らかにするためには現存する民族音楽について考古学的手法による研究が必要になる。



チンギス・カン時代のモンゴル帝国(黄色い点が都、現在のヘイテイ県)(*2)

 
 かってハンガリー人(マジャル人)もまたモンゴロイドであるという説、また日本人バイカル湖起源説があった。これらは今でも完全に否定されているわけではなく、今後DNAを調べる技術がさらに発達すれば、一度否定された説が人類学では復活することもあり得る。音楽においては、ハンガリーとモンゴルの近似点があることを考えると、モンゴル人とマジャル人はどこかで接点があったのかもしれない。


(*1)譜例のハンガリー民謡はニロ抜き音階とは言い切れない。3小節目のh音がb音であればそうなのだが、これはドリア旋法と考えられる。中世のハンガリー帝国は国教としてキリスト教を採択しているのでそのときに教会旋法も移入されたのであろう。
(*2)蛇足だが、私は現在日本と韓国の間のもめごとになっている竹島問題には中立の立場をとっている。双方で相手に対して「歴史の捏造だ」と言い合っているが、これを国際社会に問うた場合「日本の領土でも韓国の領土でもない、モンゴルのものだ」という、これまた事態をややこしくする結論に達する可能性があるからである。

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