モンゴル調査研究(12)
2017.09.29



モンゴルでの全日程を終え、今日は日本へ帰国する日。空港でのチェックインが朝6時からなので5時にはホテルを出なくてはなりません。ホテルのレストランの朝食は7時からなのですが、出発前日までに頼んでおくと4時には開けてくれるので助かります。



空港(チンギス・ハーン国際空港)の出発ロビーは昨年来たときに比べ、ずいぶん立派になっていました。写真のようなデカい馬頭琴のモニュメントがあったので、ここで最後に記念撮影。


今回のモンゴル行では考えさせられることや反省点がたくさんありました。
まず国立文化芸術大学では(とくに民族音楽系の)先生方には、どなたも快く授業を見学させてくれました。とくに洋琴(ヨーチン)のアルタンジャガル先生は、外国から来た私たちの前で演奏することが大好きのご様子。これはモンゴルのこの大学が「大学」といっても事実上「専門学校」に近いからかもしれません。それぞれの先生は民族音楽の演奏で一流の奏者、日本の大学とは違い、このような音楽専門の学科の先生は研究論文よりもまずその世界での誰もが認める第一人者であることを求められます。
小学校の音楽の授業においても(とくに4年生までは)民謡・民族舞踊が重視され、2014、2016年での訪問先も含め、どの学校の授業でも必ず入ります。
小学校の授業を見ていて気が付いたことがもうひとつ。すでに述べたようにモンゴルでは1つの校舎を小・中学校、高等学校が共用しているためか、授業は教員2人体制で中・高のその教科の先生が教科指導を、小学校の担任の先生は、授業中の監督と個別指導が必要な子供たちのサポートを中心に行なっています。これは考えようによっては日本よりはるかに進んだ方法(日本では小・中学校の修業年限を足した修業年限9年の義務教育学校が2016年に制度化はされている)ではないでしょうか。もちろんモンゴルの小・中学校の教育には他の点において多々問題はあります。
ただ、訪問したどの小学校でも、音楽の先生の教科に関する知識は非常に高く、自分たちの民族の音楽を愛する気持ちが強く、小・中学校でも音楽の先生は現役のオルティンドーの歌い手であったり、馬頭琴奏者、民族舞踊のダンサーであったりする。こういった点に「日本の小学校における教科教育」のあり方は再考すべきときが来たのではないか」、という思いを禁じ得ませんでした。

モンゴル調査研究(11)
2017.09.28
モンゴル滞在も今日が最終日となりました。今日は再度ウランバートル第28学校訪問。合唱の練習を見せていただきましたが、学年がバラバラで取り組んでいた曲も教科書レベルではなかったのでおそらく特別活動の合唱部だと思われます。


この部屋はチョイバルサン第12学校にもあったような音楽やダンスの発表などに使用される小ホールです。昨年この学校に来たときにはここで子供たちの演奏や演舞を鑑賞しました。


この後、旅行社のツアー風にいえば「出発まで自由行動」となり、息子にまだ見せたことのないスフバートル広場にある政府宮殿(写真左)に行ってみました。これは旧ソ連統治時代、ソ連の総督府だったところであり現在は博物館になっています。ただ残念なことに今日は公開していませんでした。2014年に来たときは公開していました。その時はギリギリ8月だったのですが、観光客の少なくなる9月以後は閉館期に入るのか、何か問題が起こって完全に閉鎖されたのかは定かではありません。まあ、息子は(ここもまた)ムダにデカい旧ソ連総督府を見て喜んでいましたが。
スフバートル広場から次の行き先「民族楽器店」へ向かいます。時刻はすでに昼、腹が減ってきました。途中で目に入った看板が和(なごみ)という名の和食レストラン、この10日ほど牛と羊の肉ばかり食べていてそろそろ魚が恋しくなってきていました。明日には帰国するのですがもう限界、ということで入ってみました。入ってびっくり、なんと回転寿司!(写真右)。どうせネタは中国からの輸入だろと思いきやこれが美味しい。帰国してから知ったことですが、なんとネタは築地から直送らしいです。ネタだけでなく、従業員は全員日本語が堪能、それにカウンターの中で職人さんが握ってくれるという、最近日本ではむしろ見かけなくなりましたね、これ。寿司の他にもしゃぶしゃぶ、ラーメンなどもありますが、お値段はどれも(モンゴルの物価的には)高めです。


腹もいっぱいになったところで「民族楽器店」(写真左)へと向かいました。ここはその名のとおり取り扱い商品が民族楽器が中心。馬頭琴の他に洋琴、リンベ(横笛)もあります。もちろんピアノなど西洋音楽の楽器の教本や楽譜も扱っています。2014年に来たときはここで馬頭琴を購入しました。今回はモンゴル民族楽器についての専門書を買い漁りました(てかモンゴル語読めるのかよ!?)
今日はここから通訳のナラさん(日本に留学経験がある、写真下右の女性)と合流。デパートでのおみやげ買い物に知己合ってもらいました。買い物に行った先はノミンデパート(旧国営デパート)。最上階(6F)がおみやげ店や書店、などが入っています。そのフロアに写真右のようなピアノがおいてありました。見てのとおり保管状態は最悪で商品ではありません。誰でも弾いて楽しめるようになっています。


ノミンデパートを出てからもうひとつ大きめのショッピングセンターに寄ってからホテルに戻りました。そのショッピングセンター前の様子が写真左。モンゴル(とくにウランバートル)は完全に車社会ですが、ショッピングセンター前の歩道もご覧のとおり。この辺は何らかの対策が急がれるところです。
ところで今日は楽器店、書店でお金使い過ぎたかも。明日成田から富山まで帰れるのだろうか(大汗)
モンゴル調査研究(10)
2017.09.27

チョイバルサンでの全日程を終え、今日はウランバートルへ帰る日です。また520km、12時間の旅です。来るときに一度見た(ついでにいえば昨年も見た)同じ景色ですが、私は飽きません。草原の所々に見えるゲル(遊牧民の移動式住宅)や放牧されている動物など(写真左)を楽しみながらのドライブです。ワンダン先生は運転しながらモンゴルの小唄を歌っていました(写真右)。演芸場のプロのステージでも遊牧民の生活体験ゾーンでの観光客向けのものではなく、自分の歌いたいとき、楽しみたいときに口から出てくる歌、こういうのが本当の民謡だと私は思います。↑の画像をクリックすると聴けます。


帰路もまたウンドゥルハーンの同じレストランで昼食。帰路はここでの休憩時間が短かったので町を見ることはできず、車窓からのみ見学。新潟大学の白石先生が発掘調査したアウラガ遺跡に行ってみたいな、という思いを残して、ウランバートルへ向け出発。


往路は立ち寄らなかったチンギス・ハーン記念パークで少し長めの休憩をとりました。時刻は17:30くらいでした。秋分の日を過ぎた北極圏に近いこの国では辺りはかなり暗くなっていますが、よく見るとけこう車が停まっていて、売店や食堂が閉まった後もこの場所は長距離運転してきた運転者の休憩場所として定番になっていることがわかります。昼間もいいけど、夕陽に映るチンギス・カーン像もなかなか素敵です(↑写真中央)

19:00少し過ぎくらいにウランバートルに帰り着きました。さすがにヘトヘト。長時間運転のワンダン先生とカウガさん、本当にお疲れ様でした。
モンゴル調査研究(9)
2017.09.26
第12学校2日目、今日は別行動の予定はないので、私も体育の先生方の調査研究を見学しました。
(本日の記事はすべて画像をクリックすると動画で見られます)


↑は立ち幅跳びの記録をとっているところです。


↑逆上がりの様子です。これは何か数値データがとれるものではないのですが、体育の先生にお聞きしたところ、まずできるかできないか、できない場合どのような支援をすればできるようになるかを記録しているのだそうです。


↑今日も引き続き50m走の測定を行いました。今日のクラスは走り終わった後、これから走ってくる子の走路を妨害してしまう子が多く、そちらの面倒も見ながらなのでゴールでの係は私も息子に協力しました。

午後は、音楽ホールで子供たちの合奏・合唱・ダンスなどを鑑賞しました。この音楽ホールは昨年も施設を見るだけは見たのですが発表ステージは今回初めて見ました。


↑はリコーダーの合奏で、この曲はモンゴルの子供なら誰でも知ってているといわれる童謡です。出てくる音がD・E・G・A・H・D(Gを主音とするヨナ抜き音階)のためかモンゴルの学校の音楽では3年生のリコーダーの導入段階でしばしば用いられます。


↑は鍵盤ハーモニカの合奏で、ブリヤートの民謡です。この曲は昨年、この学校の音楽担当教諭の授業で初めて聴きました。Dを主音とするニロ抜き音階(D・F・G・A・C・D)で黒鍵なしで弾ける(吹ける)曲なので鍵盤ハーモニカの導入段階で使われることが多いようです。


↑このような子供ユニットはこの国ではけっこう多いです。9/21の記事でも紹介した「9月1日」という歌も私は2014年にこちらに来たとき、テレビで子供のダンスユニットが歌うのを聴いて知りました。



これは少し高学年(おそらく7~9年生、日本の中1~3に相当)の生徒と思われます。発声はモンゴルのオルティンドーと同じに聞こえますが、音楽はオルティンドーのような明確な拍節のない装飾的な旋律ではなく、明確な拍節を持つ旋律です。これがボギンドー(モンゴル語で「短い歌」の意)なのかな?とも思いましたが、音楽に精通した通訳さんがいなかったので正確なところはわかりません。


↑はモリンオール(馬頭琴)の合奏ですが、授業時間帯に教室・音楽室から馬頭琴の音は聴こえてきたことはないので、これは授業の成果ではなく部活のものだと思われます。この曲はモンゴルのあちこちで聴く曲です。2014年もモンゴル国立医科大学を訪問したときも学生サークルの演奏で、また昨年も遊牧民の生活ゾーンにお邪魔したときに聴きましたが、正確な曲名がいまだにわからずです。


↑も部活だと思いますが、10~12年生(日本の高1~3)の生徒のダンスユニットです。民主化以後のモンゴルでは民族舞踊の他、若い世代を中心に西洋音楽・ダンスもさかんに採り入れられるようになってきています。ウランバートルにはプロの民族舞踊団の公演が見られる劇場・演芸場が数多くありますが、そこでも伝統的な音楽・舞踊に混じって必ずといっていいほどこのようなモダンな演目が入っています。


楽しい時間はあっという間に過ぎ、最後の演目となりました。最後は子供たちによる日本語での合唱でした。この学校では昨年、JICAから派遣されてきた先生方により日本昔話の「桃太郎」が伝えられています。それが1年経った今も忘れられることなく、子供たちに教えられていることに日本人のひとりとして喜びを感じました。

これで2日間のチョイバルサン市での調査研究はすべて終わりました。この地は昨年も来ているのですが、昨年は日程の関係で地域的な事情まで見て回る時間はありませんでしたが、今回は自由研究が2日あったので、いろいろと見て回る時間が取れました。本日の記事の最後にこの点について書きたいと思います。
「貧富の差が大きい」というのは発展途上国ではどこでも見られることですが、モンゴルではこのチョイバルサンも首都ウランバートルも、人々の貧富の差というより政府・自治体が金をかける地区・かけない地区の差が大きいということを強く感じます。

↑の図は、今回チョイバルサン市で調査研究で行動した範囲(観光自由研究での行動範囲は含みません)の略図です。ピンクの区域は、日本でもこんなに文化・子育て・教育環境が整った地域はそうそうないだろうというくらい、学校・幼稚園、子供たちのスポーツ活動施設、その他の文化施設が整っています(↓の写真左)。一方、水色の区域は旧ソ連支配時代が終わった後、経営難で廃業したのだろうと思われる町工場などがそのまま放置されている状態だったりします(↓の写真右)。

要は国も企業も儲からないところには金はかけない、ということなのだろうけど、せっかく広大な国土を持つのに、このような有効利用されていない土地がどれだけあるのだろうか、この国にとって資本主義化は果たして本当にいいことだったのだろうか高度経済成長の時代以後、ずっと大企業優遇の政策しかとっていない東アジアのどこかの島国もそう遠くない将来同じことになるのではないかと気になりました。
モンゴル調査研究(8)
2017.09.25
2日間の観光(ゲフンゲフン)、自由研究を終え、今日からまた学校での調査研究再開です。今回訪問するのは昨年もお邪魔しているドルノド県第12学校。今日はほとんどの時間、体育の先生方とは別行動になります。


体育の先生方は引き続き子供たちの体力測定です。↑は50m走の様子です。昨年来たときには工事中だったグラウンドが完成していて陸上用のトラックも出来ていました。昨年は↓のように(背景に注目)グラウンドがまだ出来ていなかったので、隣の廃屋化した学生寮の敷地を使って実施しました。その学生寮は今では工業技術系の専門学校として生まれ変わりました。



この学校には音楽担当の先生が2名いらっしゃるのですが、昨年授業を見せてくださったオユンバートル先生は現在日本にいらっしゃるので不在でした。そこで今年はもうひとりの音楽の先生、ムンクジャーガル先生の授業を見せていただきました。(↓の画像をクリックすると動画で見られます)



午後からはドルノド県第5学校へ行ってきました。この学校にはJICA(ジャイカ、国際協力機構)の海外青年協力隊として来ている先生がいらっしゃるときいて、お話を伺ってきました。JICAからは毎年このチョイバルサンに隊員が派遣されています。任期は2年。昨年は第12学校にも隊員として来ている先生がいらっしゃいました。教員の他、理学療法士、看護師など分野は多岐に渡っています。
今回お会いした第5学校に来ている渡辺先生はご専門は音楽ではなく算数・数学教育なのですが、授業を参観してもよい、ビデオ収録もOKということなので見せていただきました。(↓の画像をクリックすると動画で見られます)


この先生の授業を見ていて思ったのですが、「言葉の壁」がほとんどないように思えます。JICAでは派遣先の国の言葉について2か月間研修を受けてから来るのだそうですが、研修だけでなく実際にその国に住むのが外国語を覚えるのに最も効果的ということの大変よい例だと思いました。逆に考えればこのような「気付かせ」の授業は言葉が通じないからこそ可能なのだとも考えられます。


授業を見せていただいた後、渡辺先生がこの学校の中を案内してくださいました。写真左は音楽発表会に使うホールで、ダンスの練習もここを使用するようです。同等の設備は第12学校、ウランバートル第28学校にもあり、音楽教育に携わる者としては日本の学校よりはるかに進んでいる(恵まれている)ではないか!と思うところです。
写真右は資料室ですが、さながら「校内民族史博物館」。昔のモンゴルの服、子供のおもちゃ、民族楽器の馬頭琴もありました。様々な科目で民族史的資料が必要な場合に使用する教材を共有しているということでしょうか。



第5学校での見学を終え、帰ろうとしたとき、子供たちが一斉に中庭で出だしたので、何かと思ったら全校生徒揃っての体操の時間のようでした。第5学校は昨年立ち寄るだけ立ち寄ったのですが、その時にこれが終わったところに遭遇しています。昨年は「何やってんだろう?」と思ったのですがこれだったようです。(↑の画像をクリックすると動画で見られます)
スマフォ撮影なのでファイル変換した際、少々コマ飛びしてしまいました。お見苦しい点をご容赦ください)
体操といっても日本の職場の体操のような「皆で同じ時間に同じことを」して規律を保つ、というようなものではなく、音楽に合わせて各自が好きなように体を動かすことを楽しむ時間、という感じです(*1)。

(注)
(*1)考えてみればこのチョイバルサンの居住者は、モンゴル民族だけでも最も多数のハルハ族、中国系のヴァルハ族、ロシア系のブリヤート族がいて、さらに中国人、ロシア人、(韓国人もいるとのこと)が混在しているのだから、同じ音楽を聴いてもリズムの取り方、ノリがみな異なるわけで、同じ音楽で全員がピシッと動きを合わせることはそもそも無理である。

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