第2学年の歌唱共通教材
2020.07.06

以下の動画はすべて、ピアノで曲全体を→歌う練習→ピアノ伴奏付で歌う、という構成になっています。


     かくれんぼ
     春がきた
     虫のこえ
     夕焼けこやけ
第1学年の歌唱共通教材
2020.07.05

以下の動画はすべて、ピアノで曲全体を→歌う練習→ピアノ伴奏付で歌う、という構成になっています。


     うみ
     かたつむり
     ひのまる
     ひらいたひらいた
ん、伝統音楽の尊重?日本じゃ無理でしょ
2019.07.27
こういう記事を上げると「どうせ、おまえは若い姑娘の生脚でも見て悦に入ってるだけだろう」と言われそうですが、ハイ、それは否定しません。男ですからね。



【HD】SING女團-寄明月MV(舞蹈版) [Official MV Dance Ver.]官方完整版MV



【HD】SING女團-傾杯 [Dance Practice Video]舞蹈練習室版MV



このS.I.N.G.女團というグループは、衣装、ダンス、音楽などの中国の伝統文化にロックなどの洋楽を採り入れ、さらにアイドル性も持たせた、私に言わせてもらえれば「最強の音楽集団」である。ちなみにSINGはスィングとは読まず、エス・エヌ・アイ・ジーとアルファベット読みで、Super Impassioned Net Generationの意味。このような傾向は最近、アジアを中心に世界中でみられる。


Fly Project - Toca Toca (Official Video)



Fly Project - Mexico | Official Video (by FLY RECORDS)



こちらのグループはFly Projectというルーマニアのダンスユニットだが、上のToca Tocaという曲では曲のメロディーにハンガリー・ルーマニア国境地域トランシルヴァニアの民謡の特徴がよく顕れている。

一方、我が国の音楽界ではどうだろうか。


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和楽器バンド / 千本桜



ザ・ブーム 島唄 Live



下のザ・ブーム(THE BOOM)というバンドは1986年に結成され、2014年に解散。この動画にある「島唄」で大ブレークし、沖縄音楽とロックを融合させた斬新な音楽ということで当時話題になったが、このグループはそれだけでなく、1993~1997年はブラジル音楽も手掛けており、1997年にはモントレー・ジャズ・フェスティバルにも出演している。

さて、ここから先は教員養成学部の教員としては口にしてはならないことが多々含まれる。しかしあえて言う。
わが国では平成20年の教育基本法改正において「我が国の伝統文化の尊重」という文言が入り、小・中学校、高等学校の音楽の教科書でも日本の民謡や伝統芸能に関する内容が増えた。しかし私に言わせてもらえれば

何を今さら

である。昭和22年の戦後初の学習指導要領で「すぐれた音楽に数多く親しませ」という文言が入っているが、これは当時としてはヨーロッパの芸術音楽(いわゆるクラシック)のことである。戦後間もなくの頃ならこれもわかる。なんせ戦時中は「敵性国の音楽はだめ」ということで、たとえばベートーヴェンの音楽はよいがショパンはいかん、なんて歪んだ音楽教育が行われていたのだから、これを一刻も早く是正しなくては、という思いが当時の音楽教育関係者にあったことは理解できる。しかしそれから半世紀近く経っても我が国の音楽教育はここから脱却できなかった、いや脱却しようとしてこなかったのである。
音楽教育関係者の間でよく言われるのは「日本の伝統芸能には家元制というのがあり、琴や三味線、日本舞踊などは家元の血筋を引いた者でなければ習いたくても習えない」という、2時間サスペンスの「浅見光彦シリーズ」の見過ぎかよ!と思われるもの。家元の血筋を引かなくてはなれないのはその流派の「師範」とか「名取」であり、家元関係者以外がその技能を習得することそのものを禁ずる、とはどこの家元も言っていない。そんなことを言い出したら日本の伝統文化の教室をやっているお師匠さんたち全員失業である。

音楽だけに限っていえば、日本の伝統音楽と西洋音楽を融合させ、多くの人々に我が国の音楽の良さを再認識してもらおう、という努力をしてきたのは、演歌歌手やその作曲家、上に挙げたようなバンドなど、音楽教育関係者からみれば「軽音楽」という言葉で一刀両断されてしまうような音楽をやってきた者たちである。こういうミュージシャンたちの楽曲や活動を軽視し、また学校もこういうバンド活動を「芸能活動は禁止」という校則で排除してきたのが蓄積して、今になってあわてて「伝統文化」云々などと

片腹痛いわ
スーホーの白い馬とジョノン・ハル
2018.08.21
絵本にもなり、小学校の教科書にも採択され多くの人々が知るところとなったモンゴルの民話「スーホーの白い馬」、この話を日本に紹介し広めた児童文学者が他界した。現在モンゴル民俗音楽の研究を手掛けている者の一人として、大塚勇三さんのご冥福を心より祈るものである。
https://mainichi.jp/articles/20180821/k00/00m/060/150000c
このスーホーの白い馬は内モンゴル自治区錫林郭勒盟(シリンゴル盟)近辺の地域で語り継がれてきたもので、大塚勇三さんが中国語になった本から翻訳して日本に紹介してものである。あらすじは、
遊牧民の遊牧民の少年スーホーが助けた白い馬を大切に育てる。数年後に領主が自分の娘の結婚相手を決めるために競馬大会を開く。白い馬に乗ったスーホーは見事に優勝するのだが貧しい遊牧民に自分の娘をやりたくない領主は銀貨を3枚渡し、白い馬も置いてゆけ、とスーホーに命じる。これを拒否したスーホーは領主の家来により殴る蹴るの仕打ちを受け白い馬も取られてしまい命からがら家に帰る。一方白い馬は領主の宴会の最中に隙をついて逃げ出す。しかし追ってきた領主の家来の放つ矢が体に刺さり瀕死の状態でスーホーの家にたどり着く。スーホーは必死で白い馬の手当をするがそのかいもなく白い馬は死んでしまう。スーホーは何日も眠れずにいたが、ある夜やっと眠りについたとき夢に白い馬が出てきて、自分の体を使って楽器を作るようスーホーに告げる。これが馬頭琴(モリンホール=馬の楽器の意)である。
というものである。ただこの話、モンゴル人の中ではどうやらマイナーな存在のようで馬頭琴誕生譚としてはフフー・ナムジル(ジョノン・ハル)の方がモンゴル人には馴染みがあるらしい。こちらは
東に住む青年ナムジルが兵士となり西の果てへ赴く。そこでその地のお姫様グンジドと恋におちる。しかしナムジルが故郷に帰ることになり別れがおとずれる。グンジドはナムジルに1頭の黒い馬を与える。ジョノン・ハルというその馬は不思議な馬で翼を持ち、2人が会いたい、と思うといつでもどんなときでも東の果てにいるナムジルを乗せて西の果てのグンジドの所までひと晩で飛んでくる駿馬だった。ところがナムジルのことを好きになった別の娘がジョノン・ハルの秘密を知り、その翼を切り落としてしまう。ジョノン・ハルは息絶え、ナムジルは何日も悲しみの中で過ごす。そしてジョノン・ハルの体を使い、頭を棹の先に付け、皮を胴に貼り、尾の毛を弦にした楽器を作る。これが馬頭琴である。
というものである。


どちらの話もいつ頃から民間伝承としてあったのか興味深い。スーホーの白い馬が語り継がれた内モンゴル自治区シリンゴル盟は今回の訪問地のひとつザミンウッドから比較的近い(といっても200kmほどある上に陸続きとはいえモンゴルから中国に入るのだから簡単にはいかれないが)。またフフー・ナムジルに出てくるお姫様グンジドがいたと思われるのは同じく今回の訪問地であるウルギー近辺ではないかと思われる。ナムジルがチンギス・カン時代の兵士とすればおそらくモンゴル帝国時代の都(地図の青くマークした地域)に住んでいたのだろうか。民俗音楽(民族音楽ではない)を深く調べるにはこのような民間伝承や地理・歴史的背景も重要なポイントになる。



ザミンウッド・シリンゴル盟付近



モンゴル帝国の都から西の果てまで

モンゴリアンブルー(*)
2018.08.20


 学生の頃、買った本で、当時放送されていたラジオ大学講座のテキストである。当時、国民楽派の音楽にのめり込んでいた私は、講座は毎回聴いていた。小泉文夫氏といえば東京芸術大学音楽学部で音楽学、とくに民族音楽の研究者として第一人者だった方であり、故人となった今でも、その研究内容・方法は現在民族音楽の研究を行なっている者にも深い影響を与え続けている。久々に取り出して読み返してみた。この本のまえがきに「おお、そうだよなぁ」と思うことが書いてあった。
(以下、敬称略)
 小泉によれば、民族音楽とはある民族の集団的表現や伝統に培われたものであれば職業的音楽家による作品や演奏もこれに含まれ、民俗音楽とは民衆の生活・行事に密着したもので職業音楽家によるものは除かれるのがふつうである。そしてある民族の音楽について調べようとするとき、①民俗音楽②宗教音楽③芸術音楽を柱にすると便利である(「調べやすい」の意だろうか)。ここで民俗音楽には民謡、わらべ歌などの他に半職業音楽家(大道芸人・遊び芸人)の作った音楽も含める。宗教音楽とは宗教的儀式などのために用いられる音楽で、職業音楽家が芸術として作ったもの(J.S.バッハの「マタイ受難曲」はこれに相当するだろうか)は含めない。芸術音楽とは職業音楽家の創作・演奏によるもので、大衆音楽、流行歌、学校教育で使われる音楽も含める。
 民族音楽・民俗音楽・芸術音楽研究についての小泉の考え方を図で表すと次のようになる。




 ある民族の芸術音楽と民俗音楽とで、音楽の理論的な組み立ても使用する楽器も全く異なっているときは、その民族の芸術音楽は他民族の音楽を借用したものと考えられる、というのが小泉の考え方である。
 このまえがきは学生だった当時、私は全く気に留めなかったが、今年私がモンゴルへの渡航研究でやろうとしているモンゴルと隣接国との国境地域の音楽収集は、あらためて考えてみるとこの考え方にかなり影響されている。
 ただ、今出発を前にしてマリッジブルー(結婚式をひかえた女性によくみられる精神的不安定状態)ならぬモンゴリアン・ブルー(*)になってきている。日本の民謡・わらべ歌によくみられるヨナ抜き音階・ニロ抜き音階はモンゴル民謡・中国・朝鮮半島の民謡にも見られる特徴であり、三味線は琉球から渡ってきたものである。胡弓は構造は三味線に似ており奏法は中国の二胡、モンゴルの馬頭琴に近い(楽器学的には馬頭琴とは異なる楽器であり二胡に近い楽器である)。この研究を進めていった場合、日本の芸術音楽は元々が大陸から朝鮮半島・琉球王国を経て流入してきたもので、本来日本には音楽文化はなかった、という結論に達してしまう可能性があるのである。

(*)モンゴリアン・ブルーとは本来、モンゴルの乾燥した気候の中で見られる、抜けるような青い空のことである。

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