モンゴル調査研究(9)
2017.09.26
第12学校2日目、今日は別行動の予定はないので、私も体育の先生方の調査研究を見学しました。
(本日の記事はすべて画像をクリックすると動画で見られます)


↑は立ち幅跳びの記録をとっているところです。


↑逆上がりの様子です。これは何か数値データがとれるものではないのですが、体育の先生にお聞きしたところ、まずできるかできないか、できない場合どのような支援をすればできるようになるかを記録しているのだそうです。


↑今日も引き続き50m走の測定を行いました。今日のクラスは走り終わった後、これから走ってくる子の走路を妨害してしまう子が多く、そちらの面倒も見ながらなのでゴールでの係は私も息子に協力しました。

午後は、音楽ホールで子供たちの合奏・合唱・ダンスなどを鑑賞しました。この音楽ホールは昨年も施設を見るだけは見たのですが発表ステージは今回初めて見ました。


↑はリコーダーの合奏で、この曲はモンゴルの子供なら誰でも知ってているといわれる童謡です。出てくる音がD・E・G・A・H・D(Gを主音とするヨナ抜き音階)のためかモンゴルの学校の音楽では3年生のリコーダーの導入段階でしばしば用いられます。


↑は鍵盤ハーモニカの合奏で、ブリヤートの民謡です。この曲は昨年、この学校の音楽担当教諭の授業で初めて聴きました。Dを主音とするニロ抜き音階(D・F・G・A・C・D)で黒鍵なしで弾ける(吹ける)曲なので鍵盤ハーモニカの導入段階で使われることが多いようです。


↑このような子供ユニットはこの国ではけっこう多いです。9/21の記事でも紹介した「9月1日」という歌も私は2014年にこちらに来たとき、テレビで子供のダンスユニットが歌うのを聴いて知りました。



これは少し高学年(おそらく7~9年生、日本の中1~3に相当)の生徒と思われます。発声はモンゴルのオルティンドーと同じに聞こえますが、音楽はオルティンドーのような明確な拍節のない装飾的な旋律ではなく、明確な拍節を持つ旋律です。これがボギンドー(モンゴル語で「短い歌」の意)なのかな?とも思いましたが、音楽に精通した通訳さんがいなかったので正確なところはわかりません。


↑はモリンオール(馬頭琴)の合奏ですが、授業時間帯に教室・音楽室から馬頭琴の音は聴こえてきたことはないので、これは授業の成果ではなく部活のものだと思われます。この曲はモンゴルのあちこちで聴く曲です。2014年もモンゴル国立医科大学を訪問したときも学生サークルの演奏で、また昨年も遊牧民の生活ゾーンにお邪魔したときに聴きましたが、正確な曲名がいまだにわからずです。


↑も部活だと思いますが、10~12年生(日本の高1~3)の生徒のダンスユニットです。民主化以後のモンゴルでは民族舞踊の他、若い世代を中心に西洋音楽・ダンスもさかんに採り入れられるようになってきています。ウランバートルにはプロの民族舞踊団の公演が見られる劇場・演芸場が数多くありますが、そこでも伝統的な音楽・舞踊に混じって必ずといっていいほどこのようなモダンな演目が入っています。


楽しい時間はあっという間に過ぎ、最後の演目となりました。最後は子供たちによる日本語での合唱でした。この学校では昨年、JICAから派遣されてきた先生方により日本昔話の「桃太郎」が伝えられています。それが1年経った今も忘れられることなく、子供たちに教えられていることに日本人のひとりとして喜びを感じました。

これで2日間のチョイバルサン市での調査研究はすべて終わりました。この地は昨年も来ているのですが、昨年は日程の関係で地域的な事情まで見て回る時間はありませんでしたが、今回は自由研究が2日あったので、いろいろと見て回る時間が取れました。本日の記事の最後にこの点について書きたいと思います。
「貧富の差が大きい」というのは発展途上国ではどこでも見られることですが、モンゴルではこのチョイバルサンも首都ウランバートルも、人々の貧富の差というより政府・自治体が金をかける地区・かけない地区の差が大きいということを強く感じます。

↑の図は、今回チョイバルサン市で調査研究で行動した範囲(観光自由研究での行動範囲は含みません)の略図です。ピンクの区域は、日本でもこんなに文化・子育て・教育環境が整った地域はそうそうないだろうというくらい、学校・幼稚園、子供たちのスポーツ活動施設、その他の文化施設が整っています(↓の写真左)。一方、水色の区域は旧ソ連支配時代が終わった後、経営難で廃業したのだろうと思われる町工場などがそのまま放置されている状態だったりします(↓の写真右)。

要は国も企業も儲からないところには金はかけない、ということなのだろうけど、せっかく広大な国土を持つのに、このような有効利用されていない土地がどれだけあるのだろうか、この国にとって資本主義化は果たして本当にいいことだったのだろうか高度経済成長の時代以後、ずっと大企業優遇の政策しかとっていない東アジアのどこかの島国もそう遠くない将来同じことになるのではないかと気になりました。
モンゴル調査研究(8)
2017.09.25
2日間の観光(ゲフンゲフン)、自由研究を終え、今日からまた学校での調査研究再開です。今回訪問するのは昨年もお邪魔しているドルノド県第12学校。今日はほとんどの時間、体育の先生方とは別行動になります。


体育の先生方は引き続き子供たちの体力測定です。↑は50m走の様子です。昨年来たときには工事中だったグラウンドが完成していて陸上用のトラックも出来ていました。昨年は↓のように(背景に注目)グラウンドがまだ出来ていなかったので、隣の廃屋化した学生寮の敷地を使って実施しました。その学生寮は今では工業技術系の専門学校として生まれ変わりました。



この学校には音楽担当の先生が2名いらっしゃるのですが、昨年授業を見せてくださったオユンバートル先生は現在日本にいらっしゃるので不在でした。そこで今年はもうひとりの音楽の先生、ムンクジャーガル先生の授業を見せていただきました。(↓の画像をクリックすると動画で見られます)



午後からはドルノド県第5学校へ行ってきました。この学校にはJICA(ジャイカ、国際協力機構)の海外青年協力隊として来ている先生がいらっしゃるときいて、お話を伺ってきました。JICAからは毎年このチョイバルサンに隊員が派遣されています。任期は2年。昨年は第12学校にも隊員として来ている先生がいらっしゃいました。教員の他、理学療法士、看護師など分野は多岐に渡っています。
今回お会いした第5学校に来ている渡辺先生はご専門は音楽ではなく算数・数学教育なのですが、授業を参観してもよい、ビデオ収録もOKということなので見せていただきました。(↓の画像をクリックすると動画で見られます)


この先生の授業を見ていて思ったのですが、「言葉の壁」がほとんどないように思えます。JICAでは派遣先の国の言葉について2か月間研修を受けてから来るのだそうですが、研修だけでなく実際にその国に住むのが外国語を覚えるのに最も効果的ということの大変よい例だと思いました。逆に考えればこのような「気付かせ」の授業は言葉が通じないからこそ可能なのだとも考えられます。


授業を見せていただいた後、渡辺先生がこの学校の中を案内してくださいました。写真左は音楽発表会に使うホールで、ダンスの練習もここを使用するようです。同等の設備は第12学校、ウランバートル第28学校にもあり、音楽教育に携わる者としては日本の学校よりはるかに進んでいる(恵まれている)ではないか!と思うところです。
写真右は資料室ですが、さながら「校内民族史博物館」。昔のモンゴルの服、子供のおもちゃ、民族楽器の馬頭琴もありました。様々な科目で民族史的資料が必要な場合に使用する教材を共有しているということでしょうか。



第5学校での見学を終え、帰ろうとしたとき、子供たちが一斉に中庭で出だしたので、何かと思ったら全校生徒揃っての体操の時間のようでした。第5学校は昨年立ち寄るだけ立ち寄ったのですが、その時にこれが終わったところに遭遇しています。昨年は「何やってんだろう?」と思ったのですがこれだったようです。(↑の画像をクリックすると動画で見られます)
スマフォ撮影なのでファイル変換した際、少々コマ飛びしてしまいました。お見苦しい点をご容赦ください)
体操といっても日本の職場の体操のような「皆で同じ時間に同じことを」して規律を保つ、というようなものではなく、音楽に合わせて各自が好きなように体を動かすことを楽しむ時間、という感じです(*1)。

(注)
(*1)考えてみればこのチョイバルサンの居住者は、モンゴル民族だけでも最も多数のハルハ族、中国系のヴァルハ族、ロシア系のブリヤート族がいて、さらに中国人、ロシア人、(韓国人もいるとのこと)が混在しているのだから、同じ音楽を聴いてもリズムの取り方、ノリがみな異なるわけで、同じ音楽で全員がピシッと動きを合わせることはそもそも無理である。
モンゴル調査研究(4)
2017.09.21
ウランバートル第28学校2日目です。この学校には音楽担当の先生が3人いらっしゃいます。昨年も今年も授業見学の許可が得られたのはオルントヤ先生とウルチーホ先生のお二人、昨日はオルントヤ先生の授業を中心に見たので今日はウルチーホ先生の授業を中心に見せていただきました。

ウルチーホ先生は元々がダンスの先生、音楽の授業も身体反応、ダンスの要素を採り入れた内容が多くなっていました。この曲は「9月1日」というタイトルで、新学期の喜びと希望に満ちた子供たちの気持ちを歌ったものです(*1)
ところでこの日、私の身にちょっとした悲劇が・・・(笑)。私は8年前の狭心症・脳梗塞での入院以後、歌がまったくダメになっていたのですが(*2)、この日、ウルチーホ先生の授業で、モンゴルの子供たちの前で「おうま」を歌うことに(大汗)。昨日の懇親会でこの歌のことが話題になったためか。


↑何があっても動じない自信のある方のみクリック(冷汗)

この日、オルントヤ先生は主に8年生(日本の中学2年に相当)が中心の担当でした。生徒の年齢が微妙なこともあり、授業の様子は撮影できませんでしたが、びっくりしたのはその内容、なんと「バロックから古典派の時代へのヨーロッパ社会情勢の変化と音楽の変遷」でした。おいおい、これって私が大学で教養原論の音楽を担当していた頃、講義していた内容ではないか!少なくとも音楽教育についてはそう遠くない将来、日本はモンゴルに追い抜かれるのでは?そんな思いが頭をよぎりました。



授業の様子は撮影できませんでしたが、授業終了後、8年生の生徒たちと記念写真を撮ることだけ許可されました。

(注)
*1)モンゴルでは学年の始まりは9月1日
*2)元々声はいい方ではないのですが、病気以来、息が長く続かなくなり、フレーズの途中でブレスしてしまうことが多くなりました。
モンゴル調査研究(3)
2017.09.20


今日はウランバートル第28学校(写真左)訪問の日です。この学校は宿泊しているDREAM HOTELから車で10分ほどの、首都中心地から少し離れた場所にあります。付近には入居者がいなくなって廃墟同然となったアパート(写真右)や倒産・廃業したと思われる町工場など、旧ソ連支配時代には経済的には潤っていた地域であることを示すものが数多く残っています。昨年(2016年)に引き続き2度目の訪問です。体育のY先生とH先生は今日はここで子供たちの体力測定を行ないます。私はこの学校の音楽の授業を見学させていただく予定です。


体育の先生の調査活動の様子です。これは50m走で、ゴールの所に立っているのは私の息子です。低学年の子供はゴール手前で全力疾走をやめてしまうため「ここまで全力で来い」と誘導する係です。


オルントヤ教諭の音楽の授業。電子ピアノを普通教室に持ち込んでの授業です。この学校に限らずモンゴルの学校では小学校低学年時より音楽専科の先生が授業を行なうので先生がこの楽器を担いで教室間を移動することになります。


夕方は28学校の先生方との懇親会。この席でこの学校の先生が代表的なモンゴル民謡の「おかあさんの歌」を歌ってくださいました(↑の画像をクリックすると聴けます)。この歌は昨年も遊牧民の生活体験施設で聴いたことがあるのですが、特徴的なのは最初のフレーズをひとりが歌い出し、以後を皆で斉唱、もちろんモンゴル人の心の歌だから誰しもが歌う、という意味もあるのかとは思いますが、このような民謡がそもそもそのような形式なのかどうかはさらに深い探求が必要なようです。

ところでこの日のこの飲み会で、3年越しの研究にとうとう終止符が打たれました。私が初めてモンゴルを訪れたのは2014年ですが、そのきっかけは体育のH先生(それ以前にも何度もモンゴルを訪問)から「ウランバートルに来るとあちこちで♪おうまのおやこは・・・の歌が聴こえる。この歌がいつどうやってモンゴルに渡ったものか調べられないか」という話を持ち掛けられたことでした。たしかにウランバートルでは交差点で歩行者用信号機が青になったときこの曲が流れます。当時の私の考えとしては「モンゴルからこんなにたくさんの力士が日本に来ていて、その中の誰かが持ち帰ったのか、この歌が元々旧日本陸軍からの依頼で子供たちに軍馬に親しませる歌を、ということで作られた歌であることから旧満州国→中国の内モンゴル自治区→モンゴルへと渡ったのでは?と考えていましたが、確証はありませんでした。そこでこの飲み会で思い切ってこの話題をふってみました。私の仮説はどちらも間違っていました。正解は、日本から中古車としてモンゴルに譲渡されたゴミ収集車に搭載されていたオルゴールのメロディでした(笑)

H先生、ご納得いただけましたでしょうか?


モンゴル調査研究(2)
2017.09.19


今日からモンゴルでの活動開始。本日はモンゴル国立文化芸術大学訪問の予定である。この大学はウランバートル市内環状道路沿いにあり、滞在先のDREAM Hotelから徒歩で行かれる範囲である。2016年の渡航時にも器材運搬でお世話になったカルガさんの奥様がこの大学の音楽の教授であり、今年もカルガさんにアポ取ってもらって出かけた。昨年はモンゴルの民俗音楽を扱っている研究室を広範に回ったが、今回は洋琴(ヨーチン)のアルタンジャガル教授の研究室を中心にお邪魔した。



このヨーチンという楽器は上の写真でわかるとおり、弦が横向きに張られていて、弦を支える駒がある点では筝(琴)に似ているが、柔らかい木製のマレットで弦を叩いて演奏する点ではピアノに近い。同様の楽器は中国にもあり、また東ヨーロッパのハンガリー、ルーマニアで見られるツィンバロンも同じ構造で奏法も同じである。インド北部にいたロマが放浪民族となり、中央アジアを通ってヨーロッパに入り込んだ歴史と考え合わせると、もしかしたらこの楽器はロマによって中国からモンゴルに持ち込まれ、さらにヨーロッパへと伝わったものかもしれない(現時点ではあくまで私の妄想の域を出ないが)。ということで、今、私が最も興味をいだいている楽器である。

↑の画像をクリックすると演奏の動画が再生されます(お使いのパソコン・ネット環境によりダウンロードにかなりの時間がかかる場合があります)。
演奏はこの大学で洋琴の実技を担当していらっしゃるアルタンジャガル教授



アルタンジャガル先生はたいへん気さくな方で、洋琴とピアノで合奏しようということになり、こんなことになってしまいました(↑の画像をクリック)。歌っているのは私の息子です。今回の調査行に同行した手伝いの若者の一人です(汗)



この後、日本語が上手なアルタンジャガル先生(以前、洋琴の講師として千葉県にいらしたことがあるそうです)の案内でこの大学の他の先生のレッスンの様子を見せていただきました。上の画像はオルティンドーのチョドンチェチェ教授(カルガさんの奥様)のレッスンの様子です。クリックすると動画で見られます。
この日の夕方カルガさんから「私の奥さんからメッセージです。今日は大きいで怒ってるみたいでごめんなさい」と。「いえ、私の世代は昔、こうやってピアノ習ったな、と懐かしかったとお伝えください」とお応えしました(*1)。



ザグダ教授のホーミー(*2)のレッスンの様子です。緊張させた喉から出る笛のような音、緊張させた舌により口の中に2つの部屋を作ることで2声のように聴こえる声、チベット仏教のお経みられる地声を超える低音に特徴があります。↑の画像をクリックするとどんな声(音)かわかります。

この大学には2015年(昨年)もお邪魔していて、今日会った3人の教授には昨年も会っています。大変嬉しかったのは3人とも私のことを覚えていてくれたことです。なので今年はモンゴルの民俗音楽についてさらに深く学びたいという私の意向も理解してもらえました。そのためか昨年は各研究室でいちばん上手と思われる学生の演奏を聴かせていただいただけなのが、今年はレッスンを見学させていただいたり(この音をどうやって作るのかがわかりました)、先生自らが演奏してくれたりもしました。大変有意義な一日となりました。

(注)
*1)富山大学教育学部が人間発達科学部へと改組された際に音楽科が廃止されて以後10年以上、このように真剣に演奏に向き合うレッスンは私もしなくなっています。
*2)モンゴル語で「喉」とか「動物の腹の皮」の意味で、一班的には中国内モンゴル自治区からモンゴル国にかけての地帯の独特な発声法のことです。

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