モンゴルとハンガリー
2018.08.11
 いつも鉄道動画を探して観る動画公開サイト(Youtubeなど)で最近こういう数秒程度の短いものをよく見かける。若い女性が自撮りしたものがほとんどである。その中でちょっと私の興味を引くものがあった。これを見ていて膨らむ思いをつらつらと。


↑画像をクリックすると動画で見られます。
かなりセクシーなダンスなので苦手な方は閲覧ご注意ください


 BGMに使用されているこの曲は、このような短い動画で中国か韓国からの投稿と思われるもので最近よく聴く。音楽に詳しい方なら聴いてわかるとおり、この旋律は西洋音階でいう短音階の第2・6音が省かれたいわゆるニロ抜き音階である。さらに最初の4小節(あるいは2小節)の旋律を完全5度下で反復しているが、これはハンガリー民謡にしばしば見られる特徴である。


ハンガリー、ドゥナントゥール地方の踊りの音楽のひとつ(*1)

 ニロ抜き音階は、モンゴルの民謡、わらべ歌、近年のポップスにもよく顕れている。そして日本の民謡、わらべ歌、演歌でもよく使われる音階である。
 旋律以外の面では楽器においてモンゴルとハンガリーには大変よく似た楽器が存在する。モンゴルの伝統的な楽器、洋琴(=ヨーチン)とハンガリーのツィムバロンである。



モンゴルの洋琴(左)とハンガリーのツィムバロン(右)

 
 これは中国と朝鮮半島(現在の北朝鮮になる地域)にも同じ楽器(中国ではヨーキンと読む)が存在する。この楽器はハンガリー(ヨーロッパ)からモンゴルに伝承したとする説が今のところ有力であるが、もしかしたら逆かもしれない。確かなことは現時点では知りようがない。というのはチンギス・カンが築いたモンゴル帝国は、その最盛期には現在のモンゴル国土の他、中国のほぼ全域、朝鮮半島全域、ロシアの南4分の1ほど、さらにカザフスタンから東ヨーロッパの一部までを領土としていたのと、チンギス・カンの施策として道路網整備とジャムチ(宿場制)の充実があったためである。ジャムチは帝国の都と領土各地間での軍の移動をスムーズに行うためのものであったが、これを通って周辺地域との間で物流が活発化し、様々な技術、学問がモンゴルに入ってきた。そう考えると洋琴は13~14世紀頃に朝鮮半島・中国~モンゴル~東ヨーロッパへと伝わっていった可能性も出てくる。この辺を明らかにするためには現存する民族音楽について考古学的手法による研究が必要になる。



チンギス・カン時代のモンゴル帝国(黄色い点が都、現在のヘイテイ県)(*2)

 
 かってハンガリー人(マジャル人)もまたモンゴロイドであるという説、また日本人バイカル湖起源説があった。これらは今でも完全に否定されているわけではなく、今後DNAを調べる技術がさらに発達すれば、一度否定された説が人類学では復活することもあり得る。音楽においては、ハンガリーとモンゴルの近似点があることを考えると、モンゴル人とマジャル人はどこかで接点があったのかもしれない。


(*1)譜例のハンガリー民謡はニロ抜き音階とは言い切れない。3小節目のh音がb音であればそうなのだが、これはドリア旋法と考えられる。中世のハンガリー帝国は国教としてキリスト教を採択しているのでそのときに教会旋法も移入されたのであろう。
(*2)蛇足だが、私は現在日本と韓国の間のもめごとになっている竹島問題には中立の立場をとっている。双方で相手に対して「歴史の捏造だ」と言い合っているが、これを国際社会に問うた場合「日本の領土でも韓国の領土でもない、モンゴルのものだ」という、これまた事態をややこしくする結論に達する可能性があるからである。

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