モンゴル調査研究(3)
2017.09.20


今日はウランバートル第28学校(写真左)訪問の日です。この学校は宿泊しているDREAM HOTELから車で10分ほどの、首都中心地から少し離れた場所にあります。付近には入居者がいなくなって廃墟同然となったアパート(写真右)や倒産・廃業したと思われる町工場など、旧ソ連支配時代には経済的には潤っていた地域であることを示すものが数多く残っています。昨年(2016年)に引き続き2度目の訪問です。体育のY先生とH先生は今日はここで子供たちの体力測定を行ないます。私はこの学校の音楽の授業を見学させていただく予定です。


体育の先生の調査活動の様子です。これは50m走で、ゴールの所に立っているのは私の息子です。低学年の子供はゴール手前で全力疾走をやめてしまうため「ここまで全力で来い」と誘導する係です。


オルントヤ教諭の音楽の授業。電子ピアノを普通教室に持ち込んでの授業です。この学校に限らずモンゴルの学校では小学校低学年時より音楽専科の先生が授業を行なうので先生がこの楽器を担いで教室間を移動することになります。


夕方は28学校の先生方との懇親会。この席でこの学校の先生が代表的なモンゴル民謡の「おかあさんの歌」を歌ってくださいました(↑の画像をクリックすると聴けます)。この歌は昨年も遊牧民の生活体験施設で聴いたことがあるのですが、特徴的なのは最初のフレーズをひとりが歌い出し、以後を皆で斉唱、もちろんモンゴル人の心の歌だから誰しもが歌う、という意味もあるのかとは思いますが、このような民謡がそもそもそのような形式なのかどうかはさらに深い探求が必要なようです。

ところでこの日のこの飲み会で、3年越しの研究にとうとう終止符が打たれました。私が初めてモンゴルを訪れたのは2014年ですが、そのきっかけは体育のH先生(それ以前にも何度もモンゴルを訪問)から「ウランバートルに来るとあちこちで♪おうまのおやこは・・・の歌が聴こえる。この歌がいつどうやってモンゴルに渡ったものか調べられないか」という話を持ち掛けられたことでした。たしかにウランバートルでは交差点で歩行者用信号機が青になったときこの曲が流れます。当時の私の考えとしては「モンゴルからこんなにたくさんの力士が日本に来ていて、その中の誰かが持ち帰ったのか、この歌が元々旧日本陸軍からの依頼で子供たちに軍馬に親しませる歌を、ということで作られた歌であることから旧満州国→中国の内モンゴル自治区→モンゴルへと渡ったのでは?と考えていましたが、確証はありませんでした。そこでこの飲み会で思い切ってこの話題をふってみました。私の仮説はどちらも間違っていました。正解は、日本から中古車としてモンゴルに譲渡されたゴミ収集車に搭載されていたオルゴールのメロディでした(笑)

H先生、ご納得いただけましたでしょうか?


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