モンゴル調査研究(6)
2017.09.23
今日は土曜日。こちらでも土曜日は学校が休みのため学校ほ訪問しての調査はできないので、今日、明日は各自の自由研究ということになりました(要は観光だろ、というツッコミはなしでお願いします)。

チョイバルサンは1992年にモンゴル国が旧ソ連支配から独立した後も首都ウランバートルよりロシアとのつながりが強く(*1)、そのような中で学校教育はどのように行われ、音楽教育にはどのような影響を与えているのかが知りたくて、昨年初めてこの地を訪問しました。



朝6時頃。写真左は宿泊先のBOLOR HOTEL。このホテルの目の前にある道路を挟んで反対側には公園があります(写真右)。早朝はお年寄りが健康のために散歩したりしているところは日本と同じ光景です。今日は午後から遊牧地の見学ができることになったので、午前中はこのホテルの近辺を見て歩くことにしました。



付近を歩いているとよく目にするのが、団地のような集合住宅。これはこの地が旧ソ連統治時代にはソ連からの移住者、ソ連経済で潤っていたことをしめすものです(*2)。現在ほとんどのアパートは1階部分は何かの店舗になってはいるものの、2階以上が空き家になっています。昨年来たときには店舗にはこれといった看板がなく外からでは何の店かわからない状態でした。これは社会主義時代の名残だったそうです。そうするとこの1年間でだいぶ脱社会主義が進んだ?現在は↑の写真左のように店舗にはしっかり看板が付けられ、写真右のようなホテル&レストランも出来ています。



この地域は、学校も多く(私たちが訪問を予定しているドルノド県第12学校、第5学校の他にも、数校見受けられた)、また子供たちが伸び伸びと活動できる施設も充実しています。↑の写真は学校の特別活動というか、(土曜日なので)地域のスポーツクラブのようなものかと思われます。




泊っているホテルの目の前にある公園を通って、ホテルに戻りました。この公園の中にこんなものが静態保存されていました。旧ソ連軍の装甲車(写真左)。キャタビラがなく武器は砲1門しかないことから戦闘用ではなく兵員・物資輸送用と思われます。このような所にもこの地域が自国の首都よりもいまだにロシアとのつながりを大事にしていることがうかがえます。
写真右は民族楽器の馬頭琴を演奏している音楽家の銅像。この国が誇る演奏家と思われますが、説明板がモンゴル語のみで英語が併記されていないので私と息子ではこの人物が誰なのか知ることはできませんでした。



午後は今回のチーム全員で、この地の牧場を見学。牧場といっても観光客用の設備があるわけではなく、いってみれば「遊牧民のご家庭訪問」のような感じです。ここは体験施設ではなく実際に生活に使われている場なので、住居(ゲル)も写真左のように発電設備あり、テレビアンテナありです。内部も写真右のように訪問者に見せるための展示はありませんが、本当の遊牧民の生活がどういうものかを知ることができます。気温は10度くらいでしょうか。家の中でも防寒具を着てよいのならまだ日中は暖房は要らないくらいでした。



遊牧民の家庭を訪問すると最初はこれです。日本ならお茶になるところがこちらではウォッカです(↑の画像をクリックすると動画で見られます)。私は狭心症以来アルコールがダメになっているのですが、せっかくの歓迎の気持ちを無にするのは、とも思い一口だけいただきました。腹の中が火事になったかと思いましたが(汗)。ちなみに本当にアルコールがダメな人や子供には山羊か馬の乳で作ったミルクが出ます。



ひととおり挨拶も済んだところで放牧の様子を見せていただくことになりました。モンゴルでの放牧は牛が多いのですが、この牧場では主としてラクダと馬のようで牛の姿は見られませんでした。ラクダにこんなに近寄れることは滅多にないので記念撮影です(写真右)。


ラクダの放牧の様子です(↑画像をクリックすると動画で見られます)


家畜を移動させるとき、馬を使うのが普通ですが最近はバイクを使うことも多いようです。写真左はそのバイクに乗せてもらってはしゃいでいる息子です。オフロード、2人乗り、ノーヘル、日本でこれやったら反則金いくらになるんでしょうね(笑)。そして我々ジジイたちは車で馬の水飲み場へと(写真右)


馬に乗せてもらって得意顔の息子(写真左)。
「子供の時、富山市ファミリーパークでポニーに乗ったことはあるけどデカい馬は初めてだ」と感激。
-おいおい、俺たちゃ観光で来たんじゃないぞ、わかってんのか-
「これ、走らせられないのかな?」
-それ出来たら乗馬上級者だから-
私(冷汗)
今回のモンゴル滞在中、遊牧民の服を着た人はあまり見かけなかったのですが、ここの牧場のお母さんが着ていました。頼んで記念写真撮らせてもらいました(写真右)
息子(オヤジ、言ってることとやってることが違う)

この遊牧地はチョイバルサン中心地からは車で小1時間、その道のりの半分は道なき道の草原を走ります。ここの子供たちはどうやって学校に通うんだろう、と疑問に思ったのですが、学校近辺に寄宿舎があり(おそらく近辺の数校合同のもの?)、平日はそこで生活し学校に通っているそうです。

(注)
(*1)チョイバルサンの鉄道の駅からはロシアへ通ずる鉄路はあるもののウランバートルとはつながっていません(計画はある)
(*2)チョイバルサン近郊にはウランが採掘できる鉱山があり、旧ソ連支配時代はウラン採掘と輸送で経済が成り立っていました(チョイバルサンからの鉄道はウラン輸送のために作られたもので、つい最近まで旅客列車は走ってなかった)

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