モンゴル調査研究(4)
2017.09.21
ウランバートル第28学校2日目です。この学校には音楽担当の先生が3人いらっしゃいます。昨年も今年も授業見学の許可が得られたのはオルントヤ先生とウルチーホ先生のお二人、昨日はオルントヤ先生の授業を中心に見たので今日はウルチーホ先生の授業を中心に見せていただきました。

ウルチーホ先生は元々がダンスの先生、音楽の授業も身体反応、ダンスの要素を採り入れた内容が多くなっていました。この曲は「9月1日」というタイトルで、新学期の喜びと希望に満ちた子供たちの気持ちを歌ったものです(*1)
ところでこの日、私の身にちょっとした悲劇が・・・(笑)。私は8年前の狭心症・脳梗塞での入院以後、歌がまったくダメになっていたのですが(*2)、この日、ウルチーホ先生の授業で、モンゴルの子供たちの前で「おうま」を歌うことに(大汗)。昨日の懇親会でこの歌のことが話題になったためか。


↑何があっても動じない自信のある方のみクリック(冷汗)

この日、オルントヤ先生は主に8年生(日本の中学2年に相当)が中心の担当でした。生徒の年齢が微妙なこともあり、授業の様子は撮影できませんでしたが、びっくりしたのはその内容、なんと「バロックから古典派の時代へのヨーロッパ社会情勢の変化と音楽の変遷」でした。おいおい、これって私が大学で教養原論の音楽を担当していた頃、講義していた内容ではないか!少なくとも音楽教育についてはそう遠くない将来、日本はモンゴルに追い抜かれるのでは?そんな思いが頭をよぎりました。



授業の様子は撮影できませんでしたが、授業終了後、8年生の生徒たちと記念写真を撮ることだけ許可されました。

(注)
*1)モンゴルでは学年の始まりは9月1日
*2)元々声はいい方ではないのですが、病気以来、息が長く続かなくなり、フレーズの途中でブレスしてしまうことが多くなりました。
モンゴル調査研究(3)
2017.09.20


今日はウランバートル第28学校(写真左)訪問の日です。この学校は宿泊しているDREAM HOTELから車で10分ほどの、首都中心地から少し離れた場所にあります。付近には入居者がいなくなって廃墟同然となったアパート(写真右)や倒産・廃業したと思われる町工場など、旧ソ連支配時代には経済的には潤っていた地域であることを示すものが数多く残っています。昨年(2016年)に引き続き2度目の訪問です。体育のY先生とH先生は今日はここで子供たちの体力測定を行ないます。私はこの学校の音楽の授業を見学させていただく予定です。


体育の先生の調査活動の様子です。これは50m走で、ゴールの所に立っているのは私の息子です。低学年の子供はゴール手前で全力疾走をやめてしまうため「ここまで全力で来い」と誘導する係です。


オルントヤ教諭の音楽の授業。電子ピアノを普通教室に持ち込んでの授業です。この学校に限らずモンゴルの学校では小学校低学年時より音楽専科の先生が授業を行なうので先生がこの楽器を担いで教室間を移動することになります。


夕方は28学校の先生方との懇親会。この席でこの学校の先生が代表的なモンゴル民謡の「おかあさんの歌」を歌ってくださいました(↑の画像をクリックすると聴けます)。この歌は昨年も遊牧民の生活体験施設で聴いたことがあるのですが、特徴的なのは最初のフレーズをひとりが歌い出し、以後を皆で斉唱、もちろんモンゴル人の心の歌だから誰しもが歌う、という意味もあるのかとは思いますが、このような民謡がそもそもそのような形式なのかどうかはさらに深い探求が必要なようです。

ところでこの日のこの飲み会で、3年越しの研究にとうとう終止符が打たれました。私が初めてモンゴルを訪れたのは2014年ですが、そのきっかけは体育のH先生(それ以前にも何度もモンゴルを訪問)から「ウランバートルに来るとあちこちで♪おうまのおやこは・・・の歌が聴こえる。この歌がいつどうやってモンゴルに渡ったものか調べられないか」という話を持ち掛けられたことでした。たしかにウランバートルでは交差点で歩行者用信号機が青になったときこの曲が流れます。当時の私の考えとしては「モンゴルからこんなにたくさんの力士が日本に来ていて、その中の誰かが持ち帰ったのか、この歌が元々旧日本陸軍からの依頼で子供たちに軍馬に親しませる歌を、ということで作られた歌であることから旧満州国→中国の内モンゴル自治区→モンゴルへと渡ったのでは?と考えていましたが、確証はありませんでした。そこでこの飲み会で思い切ってこの話題をふってみました。私の仮説はどちらも間違っていました。正解は、日本から中古車としてモンゴルに譲渡されたゴミ収集車に搭載されていたオルゴールのメロディでした(笑)

H先生、ご納得いただけましたでしょうか?


モンゴル調査研究(2)
2017.09.19


今日からモンゴルでの活動開始。本日はモンゴル国立文化芸術大学訪問の予定である。この大学はウランバートル市内環状道路沿いにあり、滞在先のDREAM Hotelから徒歩で行かれる範囲である。2016年の渡航時にも器材運搬でお世話になったカルガさんの奥様がこの大学の音楽の教授であり、今年もカルガさんにアポ取ってもらって出かけた。昨年はモンゴルの民俗音楽を扱っている研究室を広範に回ったが、今回は洋琴(ヨーチン)のアルタンジャガル教授の研究室を中心にお邪魔した。



このヨーチンという楽器は上の写真でわかるとおり、弦が横向きに張られていて、弦を支える駒がある点では筝(琴)に似ているが、柔らかい木製のマレットで弦を叩いて演奏する点ではピアノに近い。同様の楽器は中国にもあり、また東ヨーロッパのハンガリー、ルーマニアで見られるツィンバロンも同じ構造で奏法も同じである。インド北部にいたロマが放浪民族となり、中央アジアを通ってヨーロッパに入り込んだ歴史と考え合わせると、もしかしたらこの楽器はロマによって中国からモンゴルに持ち込まれ、さらにヨーロッパへと伝わったものかもしれない(現時点ではあくまで私の妄想の域を出ないが)。ということで、今、私が最も興味をいだいている楽器である。

↑の画像をクリックすると演奏の動画が再生されます(お使いのパソコン・ネット環境によりダウンロードにかなりの時間がかかる場合があります)。
演奏はこの大学で洋琴の実技を担当していらっしゃるアルタンジャガル教授



アルタンジャガル先生はたいへん気さくな方で、洋琴とピアノで合奏しようということになり、こんなことになってしまいました(↑の画像をクリック)。歌っているのは私の息子です。今回の調査行に同行した手伝いの若者の一人です(汗)



この後、日本語が上手なアルタンジャガル先生(以前、洋琴の講師として千葉県にいらしたことがあるそうです)の案内でこの大学の他の先生のレッスンの様子を見せていただきました。上の画像はオルティンドーのチョドンチェチェ教授(カルガさんの奥様)のレッスンの様子です。クリックすると動画で見られます。
この日の夕方カルガさんから「私の奥さんからメッセージです。今日は大きいで怒ってるみたいでごめんなさい」と。「いえ、私の世代は昔、こうやってピアノ習ったな、と懐かしかったとお伝えください」とお応えしました(*1)。



ザグダ教授のホーミー(*2)のレッスンの様子です。緊張させた喉から出る笛のような音、緊張させた舌により口の中に2つの部屋を作ることで2声のように聴こえる声、チベット仏教のお経みられる地声を超える低音に特徴があります。↑の画像をクリックするとどんな声(音)かわかります。

この大学には2015年(昨年)もお邪魔していて、今日会った3人の教授には昨年も会っています。大変嬉しかったのは3人とも私のことを覚えていてくれたことです。なので今年はモンゴルの民俗音楽についてさらに深く学びたいという私の意向も理解してもらえました。そのためか昨年は各研究室でいちばん上手と思われる学生の演奏を聴かせていただいただけなのが、今年はレッスンを見学させていただいたり(この音をどうやって作るのかがわかりました)、先生自らが演奏してくれたりもしました。大変有意義な一日となりました。

(注)
*1)富山大学教育学部が人間発達科学部へと改組された際に音楽科が廃止されて以後10年以上、このように真剣に演奏に向き合うレッスンは私もしなくなっています。
*2)モンゴル語で「喉」とか「動物の腹の皮」の意味で、一班的には中国内モンゴル自治区からモンゴル国にかけての地帯の独特な発声法のことです。

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